MMS公認ヒーラー

吉田朝美

私は、神戸に生を受けました。子どもの頃から歌が大好きで、ずーっと歌を歌っていたり、レコードプレイヤーを聴いていた子どもでした。幼少期は動揺や歌曲集が大好きでしたが、歌好きが昂じて高校では部活で合唱をやるほどでした。

また幼少期から目に見えない世界にも関心が高く、物心ついた頃から毎晩神様に今日一日に出来事を報告するような子どもでした。そのおかげか、幼稚園の頃悪夢を見てうなされた時も、神様が助けてくれた記憶がはっきりとあります(笑)。その悪夢は、まるでピカソが描いたような歪んだ人の顔が私を追いかけてくる、というものでした。とても怖かったのですが、それを救ってくれたのも神様でした。この頃からとても信心深かったのですね(笑)。

また子どもの頃はとてもおとなしい性格で、自信がなく消極的な子どもでした。そして幼少期の母の記憶は、”いつも横を向いている”面影だけなのです。私を正面から笑顔で見つめてくれていた記憶がないのです。私はどこかで「母に愛されていない」という感情を抱いていました。

姉に冗談で「あなたは橋の下から拾われてきた子なのよ」と言われたのも、子どもの私にはとてもショックでした。その出来事も、”自分は愛されていないのだ”という感情に拍車をかけたように思います。

たしかに躾などに厳しい母でしたが、今思えば母の厳しさは私への愛情でもあったのだということを理解できます。母の家系は代々槍術の師範であり、それは先祖代々続いてきた武家の血から来るエネルギーだったのです。また父方も姫路城に仕えた武家であり、私の中には生粋の武人の血が流れています。今となっては、この事実は私にとって誇りです。

自分のルーツを知ることで、ずっと自分に自信がなく、自己価値の低さに悩んできた私にそのようなDNAが流れていることを知ることで、それが自分に対する自信と愛に変わったからです!

大人になって就職すると、事務職や人事、教育関係などの仕事に従事してきました。仕事はともて面白くやりがいを感じていましたが、本質的に頑張りすぎてしまう性格がたたり、いつの間にか私は疲れ切っていました。アトピーの症状が強く出てしまったのも、私をとても苦しめました。

その後結婚し、子宝にも恵まれましたが、娘が中学の時にある事件が起こりました。それがきっかけで娘は鬱になり学校に行けなくなりました。家に閉じこもりほぼ廃人のような状態に私も心を痛めました。「どうしてあげればいいのだろう?」「私にいったい何ができるのだろう?」

食事療法やサプリメントなどで娘の状態は約1年で回復しましたが、ここでの深い葛藤が、私を目に見えない世界へと導くきっかけだったと今では思います。何か、自分ではコントロール出来ない目に見えないレベルの大きな意志、宇宙レベルの意志みたいなものの片鱗をこの経験で感じたからです。

そうして私は、いわゆる「スピリチュアル」という世界にはまっていきました。様々な種類の占術やヒーリング、新興宗教のようなもの、いわゆるニューエイジという世界にはまり、今思えばその餌食になってしまっていました。壮絶な体験もしました。それでも私は守られ、導かれていました。

アデプトプログラムとの出会いが私を救ってくれたからです。目に見えない世界はとても魅力的で本来素晴らしいものですが、目に見えないだけに危険もたくさんあります。私はそれを身をもって体験しました。だからこそ、アデプトプログラムがとても安全で、本物のスピリチュアルな世界への入門プログラムなのだということを実感できたのです。

今私は、MMS(モダンミステリースクール)公認のヒーラーとなり、かつての私のような人たちに自分の体験を伝えたり、癒しや本当の自分自身の人生を取り戻すための活動をしています。